「ただいまイギリスっ!」
鍵を開けるのももどかしくついドアノブを壊しそうになったけれど、どうにかその事態は免れた。盛大に音を立ててドアを開け家に飛び込み、名を呼んだ彼が居るであろうリビングルームへと駆け込む。
薄い扉を開け放てば、音と声に反応してソファから腰を上げていたイギリスが目を丸めて、しかしすぐにはにかんだように笑って迎えてくれる。午前1時、58分。
「おかえりアメリカ。随分早かったな」
「そりゃあね。お開きの言葉言ってすぐにタクシーに乗ったから」
暖かい室内の温度とイギリスの笑顔に冷えた身体が解れる様に感じて、ジャケットを脱ぐのも忘れてソファへ近寄り立ちつくす彼を抱きしめた。途端、イギリスは身体を一つ震わせる。
「冷たっ!お前すっげー冷えてんぞ!」
「ああ、そりゃあ外は寒かったからね。タクシーの中も割と冷えてたし」
「悪い、風呂沸かしてねぇや。すぐに湯溜めてやるから、」
「イギリス」
アメリカの腕から抜け出してバスルームへ向かおうとするイギリスを制止して、両手で頬を包み込む。手袋を忘れた為赤く染まった指先は冷たいかもしれないが、イギリスは拒まなかった。
綺麗な目の色は最近まで街のあちこちに飾られていたツリーのよう。いや、そんな例えでは表わす事が出来ない位綺麗な、アメリカのお気に入り。その艶やかな瞳をしっかりと捉えて囁く。
「ハッピーニューイヤー、イギリス」
「……ああ。ハッピーニューイヤー、アメリカ」
そうすれば、イギリスからも甘い声でそう返される。ほんのわずか3センチ離れていた距離を縮めて、軽く短く唇を重ねた。一度離して目を合わすと、今度はイギリスから顔を近づけてくる。
重なった唇は暖かくて柔らかくて気持ちいい。けれど自分はきっと冷たくてかさついているのだろうと思うと早く解放してやらねばと思うのだが、イギリスの両手は首に回され力を込めたままだ。もう少しこのまま温めて貰っても構わないかと存分に口づけを味わう。
暫くそうして、ようやく腕が緩められた頃に距離を取った。イギリスは照れたように笑って今度こそバスルームへと向かう。
イギリスが視界から消えてようやくマフラーを外し、ジャケットを脱いでソファの背にかけた。ソファの前のテーブルにはティーセットが並んでいる。一人で酒でも飲んでいるかと思っていたので少し意外だった。
「お前随分飲んでるんじゃねーの?酒くさい」
バスルームから戻ったイギリスはキッチンへと移動して棚を漁りながらそう投げかけてくる。自分ではわからないが、確かに相当の量のシャンパンを飲んだので近寄ると酒臭いかもしれない。
「そりゃあパーティーだからね。てっきりイギリスも飲んでると思ったぞ」
「一人でか。そんな虚しい事してねーっつの」
「だから君も来れば良かったのに」
「仕方ないだろ、どうしても仕事がパーティー開始時刻に終わらないってわかってたんだから」
新しいポットとカップを持って戻ってきたイギリスは紅茶を注いで差し出してくる。冷えているからと気を使ってくれたのか、ミルク色の紅茶からは微かに生姜の匂いがした。
紅茶より珈琲がいいと駄々をこねなくなってもう大分と長い。今ではイギリスが癇癪を起こす事もめっきり無くなった。
それは多分、本音の裏返しをアメリカが言わなくなったからだ。照れてイギリスを怒らすような事ばかり言っていたあの頃よりはもう、大分と大人になった。
「うん、美味しい。やっぱり寒い日はジンジャーティーだね」
「風呂もすぐ沸くからな」
「一緒に入ろうか」
「……馬鹿、お前年明けても相変わらずかよ」
頬を軽く染めてふいと顔を背ける様は相変わらずだが、それでも拒否する仕草は見せない。そんな横顔を素直に可愛いと思って眺めていると、ふとイギリスが声を上げて向き直ってきた。
「そうだ、思い出した。俺が酒飲んでなかった訳」
「え?虚しかったからじゃなくて?」
「違う、日本が言ってたんだよ。一年の始まりはその年により効率良く行いたい事をするんだって。だから酒とかゲームとかしちまうとその一年酒、ゲーム漬けになるって」
「ふーん…」
日本はその手の話が好きだなと思いながら聞いているが、イギリスはどうやら信じこんでいる様で真剣にアメリカに話し続ける。確かに酒漬けの一年は勘弁してもらいたいが、だから紅茶って言うのも違う気がするのだが。
「だから、今日はセックス無しだぞ」
「え、なんで?」
「話聞いてなかったのかよ。セックス漬けの一年になっちまうだろ」
「さっきキスしたからキス漬けの一年になるなら一緒だぞ」
「そ、れはカウントしないとして…」
「なんだいそれ。随分都合のいい話だなぁ」
アメリカとしてはこのまま一緒に風呂に入ってそれこそ日本で言う姫始めをする予定だったのだが、イギリスがそこまで日本の話を信じているなら事に及ぶのは明日でも別に構わなかった。
問題は、じゃあ一体今から何をするのかだ。時間を見れば寝るべきなのだと思うが、それだと寝過ぎの一年を送る事となってしまう。イギリス的に言えば。
「まぁいいよ。じゃあどうする?君はどんな一年にしたい?」
「……んー…」
俯いて間延びした声を上げてから、イギリスは暫く真剣に悩むように黙り込んだ。大人しくそれに付き合い待っていると、思い至ったのかイギリスはソファに並んで座っていたアメリカとの距離を詰めてちょこん、と頭を肩に乗せてくる。
少し驚いて思わずカップを落とすところだった。名を呼んで表情を伺うとイギリスは満足そうに目を細めて頬を肩に擦りつけた。ぐ、と込み上げてくるものをなんとか抑えてアメリカは視線を宙へ泳がせる。
「誘ってるのかい?セックスしないって言ったのは君だぞ」
「違ぇよ馬鹿。去年は何かと忙しくて、二人でゆっくり旅行にも行けなかっただろ?」
言われて去年を思い返せば、確かにそう言った時間は全くと言っていいほど取れなかった。まとまった休みも二人の都合が合わなくてすれ違い、週末の予定が重なったとしても仕事疲れの所為で家で過ごした程度のものだ。
そこまで考えて成程と理解する。確かに一番良い選択だと、アメリカはイギリスの肩に手を回してそっと抱き寄せた。
「…そうだね。今年はもっと一緒に過ごせたらいいな」
「まぁ、今年もW杯だなんだ忙しいのは目に見えてるけどな」
「今からそんな事言っててどうするんだい。どうせならもっと楽しい予定の話しよう」
「例えば?」
「そうだな…取りあえず年明けは家でゆっくりするぞ。君の料理に飽きる頃には店も開くだろうし、外食したり散歩したりね。でも寒いからすぐに帰って風呂に入る。勿論一緒に」
「なんだそりゃ。いつもとたいして変わんねーよ」
可笑しそうに笑うイギリスは、それでも満更でもなさそうに続きを促してくる。興味津々といった感じの様子で迫られるとどんどん楽しくなってきて、アメリカの頭の中は色んな楽しい行事で埋め尽くされていた。
「二月には君の手作りのチョコを貰って、ちゃんと一月後にはお返しするぞ。そうだ、今年は久しぶりにイースターもやろうか。独立以来やってないからね」
途端イギリスは驚いたように目を丸めた。もう大分しがらみは薄れたとはいえ、アメリカが独立以前の事を話題に出すのは相当珍しい事なのだ。以前であればイギリスがその類の話題を出せば目に見えて機嫌を悪くしていた程。
けれどもう気にする事は無い。今後はそうして兄弟だった頃に楽しんでいた行事も積極的に行っていこうと思う。あの頃とは勿論違う楽しみ方が出来る筈だ。
イギリスもすぐに驚きの表情を解き、柔らかく微笑んで見せる。そして頷いてからアメリカの腰に手を回した。
「いいな、それ。もうわかりやすいとこに隠してなんてやんねーから覚悟しとけ」
「エッグハントなら負けないぞ。そして君はホットクロスバンを焼くんだ。ほら、春まででもこんなに沢山の予定が出来たぞ」
「ああ。今年はいつもよりずっと一年を短く感じそうだ」
腰に回した手がもどかしくなったのか、イギリスはソファに乗り上げてアメリカの足を跨いで座り向き合う体勢を取る。どうも先程から誘われている気がしてならないが、多分本人にそんな気はないのだろう。取りあえず頬にキスをして、彼からも同様にキスを返される。
こうして過ごせたらどんなに素敵な一年だろうか。恐らく全てを実行に移せないとわかっていても心が躍る。
更に夏からの予定に思考を巡らせているとイギリスはアメリカの肩口に額を押し当てた。そして小さな、かろうじて聞こえる声で呟く。
「いれたらいいな、一緒に」
ぴた、と頭を撫でようとした手が止まる。呟いたイギリスの声は、まるでそれらが不可能と知っているかのように低く重いものだった。そしてアメリカも、その事実を知っていた。
国という身分は中々自由に動けない。まして他の国と休みを合すのがどれ程難しいかはもう身に染みるほどよくわかっている。
それでも望んでしまうのだ。イギリスと過ごす休日。楽しい行事。今年一年はそんな魅力的な予定で詰まっているのだと、そう。
「いられるよ、イギリス」
「……嘘ばっか、超大国」
「嘘じゃないさ。じゃあ約束。今言った事、絶対全部しようね。二人で」
「…本気か?」
「勿論」
顔を上げたイギリスは訝しげに表情を歪めていたが、アメリカは胸を張って答えた。確かに、その日その日に都合づけるのは難しいかもしれない。けれど、日が違ったって二人でいればなんの問題も無い。
イギリスがチョコをくれた日がバレンタイン。二人で卵探しをした日がイースター。それで構わないじゃないか。そう言ったらイギリスは5秒程ぽかんと口を開けて固まって、一瞬後には笑い出したけれど。
「ははっ、おま、流石自分大好きだなっ」
「心配しないで、君の事も同じ位好きだから」
「ありがとよハニー」
告白をさらりと流したイギリスからはもう暗い表情は消えていた。それでいい。折角一緒にいるのだからいない時の事で落ち込むなんて時間が勿体ない。
共にいれない時間が多くても、こうして一緒に過ごす時が本当にかけがえのないものだから。それでいいと思う。だって今、こんなにも幸せを噛み締める事が出来るのだから。
「そうだイギリス。俺たちの約束の日時は全部あやふやになっちゃうけどさ、一個だけ確約しようか」
「え?」
「二月も三月も、その日がどうなってるか今はまだわかんないけど」
そう、一月や二月先の事なんてわからない。けれど、もっと先ならどうだろう。
10年先、20年先。必ず約束出来る事がある。
「100年後の今日の日も、きっと二人でいよう」
「え…?」
「どれだけ俺達が忙しくても、この日は絶対一緒にいられるよ。俺達にとって10年後なんてすぐだ。だから、」
100年前には想像も出来なかった今日、イギリスと共にいる。ならば100年後の事は想像しておこう。
きっと二人で今日と同じように過ごしている、100年後を。
「100年後も、こうしていようね」
そっと抱きしめれば、一間置いて回された手がきゅっと首元を掴んでくる。その手が小さく震えているのは決して寒いからでも恐怖からでもないと、ちゃんと伝わって来た。
「……きっと、だからな」
「うん、きっと」
2010年、1月1日。その日交わされた約束が2110年に無事果たされるのかどうか。
それは100年後の今日の日に、二人だけが知る事となる。
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去年の冬コミ、今年一月のインテで限定無料配布した年越し米英です。
二人してツンは不在です。順調に恋人してる二人って事で。
にしても米英はこうしていちょついてるのが新鮮ですね。書く分には楽だけど。
10.02.08
09.01.18