手を伸ばす。それは無意識と言う名の癖。
覚醒しきっていない頭で、そこに在る温もりを求めた。
捕まえて、引き寄せて、抱きしめる。その一連の動作は、最早慣れたもの。
の、筈だった。

「……ん?」

違和感、と言うよりは喪失感。そこに在る筈のものが無い。
いや、居る筈の者が居ない。伸ばした手は、空を掴んだ。
そこでようやく意識が浮上し、スペインはゆっくり瞼を開きオリーブの瞳で確認する。

「ロマ?」

視線の先には真っ白なベッドシーツが皺を寄せてスペインの身体を覆っている。
スペインの身体のみ、を。
眠る前には確かにもう一人も一緒に包まった筈なのに、とスペインはその人物の名を呟いた。
確かに自分よりは寝起きの良い彼だが、起こされる事なく一人どこかへ行ってしまう事なんてそうそうは無い。
時計を確認すると、もう直ぐ昼食を取る時間。特に予定も無い日なので寝坊は構わないのだが、そうすると更に疑問が生じてくる。
ロマーノが朝食も食べずにこんな時間まで待つ筈がない。必ず怒鳴りながらスペインを叩き起す筈だ。
けれど、自分は今こうして自然と目覚めた。彼の怒鳴り声を聞いても起きなかったのかと思ったが、流石にそれは無い。
そこまで考えてようやく身体を起こした。壁際のソファにも、ロマーノの姿は無い。
稀に、彼の空腹に余裕がある時はそこに座ってスペインの目覚めを待ってくれる時があるのだが、今日は違うようで。

「どこ行ったんやろ?」

心当たりを思い浮かべながら、スペインは寝間着を脱ぎ捨てて普段着に袖を通した。






結局、家中を探し回ってもロマーノの姿は見当たらなかった。
一応トマト畑も見て回ったが、無駄足に終わった。キッチンにも、食事の跡は残されていない。
電話だってかけた。便利になった近年で発達した携帯電話。日本に貰ったからと、ヴェネチアーノがくれた物だ。
けれどロマーノに繋がる事は無く、無情にもアナウンスが響くばかり。

「自分家帰ってもーたんかなぁ」

小さく溜息を吐き出すと同時、心地良い風が吹き抜ける。
途端、今日ロマーノと行う予定だった数々の事柄を思い出す。
折角ロマーノが泊まりに来てるのだから、少し寝坊して、起きぬけはベッドの中でいちゃついて、遅めの昼食を一緒に食べて、それからそれから…と思い出す程に寝坊した自分を怒鳴りたい。
そこでふと閃いて、スペインに急に焦りが生じた。

「も、もしかしてロマーノ、俺が起きんから怒って出てったとか!?」

嘘やーん、と一人頭を抱えてのた打ち回る姿は非常に滑稽なものであっただろうが、今はそんな事気にしてられない。
だから携帯も通じないのかと、思考はどんどんマイナスへと向かっていく。これが噂の着信拒否というやつか。
普段は無駄に明るく能天気なスペインも、ロマーノが絡めばひとたびパニックに陥ってしまう。
どうしていいかわからず暫くその場をぐるぐるしてから、ぴたりと足を止めて顔を上げる。

「そうや、こんなんしててもアカンやん。探しに…」

そこまで考えて、すぐに駄目だと打ち消した。今日は大事な書類が家に届く予定で、すぐに判を押して送り返さないといけない。
だから一日予定を入れなかったのだ。二人家でのんびり過ごそうと、そう思って。
ロマーノにもそれは伝えておいた筈だ。と言う事は、ロマーノはスペインが外出出来ないとわかっていて出て行ったという事だろうか。

「…やっぱり怒ってるやーん!」

再び絶叫して、頭を抱えたまましゃがみ込む。
書類が届くその時まで、スペインはその格好のまま悩み続けていた。






「よし、完璧ちゃうのんこれ」

スペインは腰に両手を当てて、自画自賛の声を上げた。
トマトのパスタにピッツァマルゲリータ。トマトのガスパチョにデザートまでトマト尽くし。
結局考え付いたのはこんなわかりやすい御機嫌取りの方法。それでもスペインは目一杯愛情を込めて調理した。
赤で埋まったテーブルを満足気に見渡してから、壁にかかった時計に目を向ける。
調度夕食時。窓の外は、すっかりと闇に覆われていた。
ポケットに入れておいた携帯は一度も着信を告げる事無く、もう何時間を一人で過ごしただろう。
まだ湯気の立ち上る料理を力無く見下ろして、スペインはすとんと椅子に腰を降ろした。

「ロマーノ、今日はもう来ないんかなぁ…」

ぐったりとテーブルに突っ伏すと、料理の匂いが鼻をくすぐる。
忘れていた空腹を思い出し、腹が大きな音を立てた。

「そう言えば俺、今日何も食べてないやん」

気付くと急に目の前の食事がより一層美味しそうに見えてくる。
焦げ目からチーズのとろけ具合まで完璧なマルゲリータに手を伸ばして、はた、と誰も居ない向かいの席が目に入り動きを止めた。

「ロマーノぉ……」

誰かに聞かれれば確実に情けない、と笑い飛ばされそうな声が出る。
そのままテーブルに顔を伏せて、スペインはきつく目をつむった。






「……っ、」

ふる、と身体の震えで目が覚める。ぼんやりとした視界は、自分が眠りに落ちていた事を教えてくれた。
まだ定まらない世界をどうにか捕らえようと目を細めると、向かいに浮かぶ人型。
もはや見慣れた、くるんと上巻く一本の髪の毛。濃い目のブラウンなそれを弄りながら、本のページを捲くる姿。
スペインはゆっくりと目を丸めて、小さく声を漏らした。

「ロマーノ…?」
「ん?ああ、やっと起きたかコノヤロー」

声に反応して顔を上げたロマーノは、パタンと本を閉じて思い切り眉間に皺を寄せた。
スペインはまだ目を見開いたまま、驚きのあまり僅かに腰を上げる。

「ほ、ほ、ほんまにロマーノ!?嘘やない!?」
「何だよ寝ぼけてんのかコンチクショーが。ヴェネチアーノとでも間違えてんのか」
「そっ、そんな訳ないやん!」

がた、と椅子から立ち上がると身体からするりと何かが床に落ちる。
見れば、それは薄手の膝かけだった。拾い上げて暫く眺めてからふと気付き視線を移すと、ロマーノは頬を赤らめて勢いよく顔を逸らした。

「お、お前が風邪引くと俺のメシ作る奴が居なくなるだろ!」
「ロマーノ…」
「だぁっ!もういいから早くメシ!何時間待たせるつもりだバカヤロー!」

テーブルに両手を叩きつけてロマーノが喚き散らす。そう言えば、スペインの作った料理の皿全てが銀の蓋に覆われていた。
恐らくロマーノが被せてくれた物だろう。一つ手にして持ち上げて見ると、料理はすっかり冷めきっている。

「あー、すぐ温めなおすからちょっと待って、」
「もういいよこのままで。さっさと喰おうぜ」

言うが早いか、ロマーノは料理の蓋を次々と外していき、形だけ手を合わせて料理に手をつけた。
暫く呆然としていたスペインだが、美味しそうに料理を詰め込むロマーノの姿を見て自分も皿を引き寄せる。
ガスパチョを一口飲んだ事によって胃が活性化し、スペインの食事の速度が上がる。
暫く一心不乱に食べていると、いつの間にか手を止めてじっとスペインを眺めているロマーノと目が合った。
口には料理が詰め込まれていて声が出せなかった為首を傾げてみると、ロマーノは少し微笑んで小さく息を吐き出す。

「その様子じゃ、ゆっくり休めたみたいだな」
「ふえ?」
「沢山寝たんだろ」
「………あっ!」

そこでようやく思い出して、スペインは声を上げた。
グラスから水を煽って全てを飲み込んでから、腰を浮かし前のめりになってロマーノに詰め寄る。

「な、なんだコノヤロー」
「ロマーノ、怒って出てってもうたんやないの!?」
「はぁ?」
「やって起きたらロマおらんし、俺が起きんから怒って出てったんかと…」
「………」

不安げに眉を垂らすスペインにロマーノは訝しげな表情を浮かべ、そして盛大に溜息を吐く。
途端フォークを乱暴に扱って、皿の上の料理を突き始めた。スペインは更に不安に見舞われる。

「ほら、怒ってるやん!」
「怒ってねぇよコンチクショウが!」
「え、え、え?」

料理をかっ込んでデザートの皿を引き寄せたロマーノは、トマトのタルトを切らずにそのままフォークを突き刺す。
おろおろと落ち着きの無いスペインの動作に合わせて、香ばしいタルト生地とシロップ漬けのトマトを噛み砕いた。
スペインはロマーノの顔を伺うように覗き込み、再び口を開く。

「ほんまに怒ってない…?」
「……怒ってねぇよ」
「ほな、なんで何も言わないで居なくなったん?」

ぴた、とロマーノの動きが止まる。そのまま暫し制止し、ゆっくりとフォークを置いた。
そして少し気まずそうに視線を泳がせてから、そっとスペインへと合わせる。

「スペイン、最近忙しそうだったから…今日ぐらいゆっくり寝かせてやろーと思って…」
「え…」
「だから、その、ベッドも広く使わせてやろーと、」
「………」

恥ずかしそうに言葉を紡ぎながら、ロマーノは両手をもじもじと動かす。
その頬がトマトのように真っ赤で、スペインはこんな状況でもそれが可愛いと思ってしまった。
ロマーノは大きく首を振って、キッとスペインを睨み上げた。

「それだけだ!」
「ロマーノ…」
「馬鹿スペイン!そんぐらい言わなくてもわかれ!」

無茶な事を叫んで、再びタルトを口に運ぶ。
力強く噛み締める様を眺めながら、スペインは頬が緩むのを止める事が出来なかった。
まだ殆ど食事に手をつけていない状態で、けれどスペインは空腹なんてどこかへ行ってしまう程の感情に見舞われる。
今日一日我慢した。もうええやろと自分で自分にOKを出して立ち上がる。

「ロマーノ」
「ん?へ、わっ!」

フォークが絨毯の上に音も無く落ちる。急に腕を引かれたロマーノは、スペインの腕に抱きしめられていた。

「な、何すんだよ!」
「抱きしめてる」
「離せバカヤロー!」
「嫌や、無理」

ロマーノの肩に顔を埋めて、思い切りその感覚を堪能する。
匂い、温もり。今日一日の内数時間の事なのに、ロマーノの全てが足りない。
言葉では反発するロマーノも、態度は少しも嫌がっていない。背に回された両手が、堪らなく愛しい。

「あんなロマ、気使ってくれてありがとう。めっちゃ嬉しい」
「………」
「でもな、例えベッドが狭くても、いっぱいいっぱい寝れたとしても、ロマが居ないと意味ないねん」
「え?」

ロマーノが顔を上げる。至近距離でその瞳に見つめられ、我慢できずに頬に口付けた。
ぴく、と肩を揺らしたロマーノの両頬を包んで瞳を覗き込む。

「ロマおらんと、俺寂しくて仕方ないし。今日、寂しかってんで?」
「う、…」
「携帯も出てくれんし」
「それは…忘れてったから……」
「そうなん?噂の着信拒否かと思って親分死にかけたでー」

笑いながらぽんぽんと背中を叩くと、ロマーノの手がスペインの服をギュッと掴んでくる。
そんな些細な事にすら幸せを感じながら、もう一度視線を合わせて。

「やから、ずっと傍おったってな?」

自分でも驚くほどの、甘い声で囁いた。
見る見るうちにトマト化するロマーノを愛しく思い、一層強く抱きしめる。
途端胸の中でロマーノが暴れだしたが、そんなの気にしない。
暫くそうしていると諦めたのか、ロマーノもおずおずとスペインの背に手を回した。

「…ずっと、美味いトマトくれるなら……考えてやってもいいぞ」
「ほんま?俺頑張るわ!」

スペインが微笑むと、ロマーノの表情も綻んだ。
費やした時間は長かったが、辿り着いたのがこの笑顔なら構わないと、心の底からそう思った。









-------------------------------------------------------------

こんな感じで初西ロマ。ううん、手探り感満載でお送りしております。
でも溢れる思いは無限大なので今後もっと精進しますね。
取りあえず親分想いな子分書きたかったんです…それだけです…。


09.05.09