やってしまった。やってもーた。かんっぜんにやってもーた!
 普段は寝起きが頗る悪い自分も流石に目が覚めて十秒後には覚醒して、一瞬後には多大な焦りが襲ってきた。今は慌てて昨日脱ぎ捨てたまま散らかしていたズボンとシャツに袖を通してもどかしくボタンを留めている。
 ベルトの金具と格闘しながら寝室を飛び出し廊下を架けていく。行き着いた先のリビングのドアを力任せに開けはなって、寝起きで擦れた声で叫んだ。
「ロマーノ!」
 続いてごめん、と謝ろうと思っていたのに、そこには誰もいなくてがらんとした見慣れた空間が広がるだけだった。思わず立ちつくして暫し呆然としていると、微かに開いた窓から入りこんだ風がテーブルの上の何かを揺らす。
 近寄って見ると、端にトマトを重しとして乗せたそれは切り取ったメモで、一言、こう書かれていた。
『夜には会える』
 見間違える筈もない、ロマーノの字だ。スペインはそれを手に取ってもう一度文字を追う。
 夜には会える。戻る、じゃなくて会える。一体どういう事だろうか。
 壁掛けのカレンダーに目線を移すと、今日の日付が赤で丸く囲われていた。2月12日。スペインの誕生日。
 昨日は昼からロマーノが来てくれて、夕方まで仕事が入っていたスペインの為に夕食を用意してくれた。簡単なポモドーロにガスパチョだったが、文句などある筈もない。それに、明日はもっと豪華な食事が並べられるとの確信も持っていたからだ。
 夜は当然同じベッドに入り、生まれたままの姿で愛し合った。誕生日を迎えた瞬間ロマーノを抱いているなんて夢のようだと言いながら、肌を触れ合せその時を待った。
 しかし、ここからが誤算だった。気が逸った為ベッドに入る時間が早く、最近仕事続きで疲れていた所為で11日のうちに一度達した途端すさまじい眠気に襲われてしまったのだ。
 それでもなんとか目を開けていようと試みたのだが、そんなスペインの頭をそっと撫でながらロマーノは優しい頬笑みを浮かべて「いいから寝ろ」と囁きかけたのだ。
 嫌や、絶対日を跨いでもっかいする、と途切れ途切れに伝えたものの、呆れたような表情に切り替えたロマーノに目を覆われて、一瞬後には意識が遮断されたように思う。
 そして今。隣で眠っている筈のロマーノは消え、代わりにこんな意味のわからないメモだけが残されている現状。スペインは寝ぐせだらけの頭を掻き毟ってメモを机に叩きつけた。
 ふと、メモの裏面の隅に小さな文字で記された何かに気付く。あまりに小さな文字なので再び手にして顔に近づけると、そこには「オーストリアの家にいる」との文字。
 途端、スペインの胸に若干の怒りが生まれる。今日と言う日がどんな日であるのか、ロマーノだってわかっている筈なのに。なのに何故、眠っているスペインを放ってオーストリアの家なんかに行ってしまったのか。
 ロマーノは夜には会えるとメモを残したのだから夜はちゃんとお祝いをしてくれるつもりなのだろう。もしかしたらオーストリアの家でケーキの作り方でも教わっているのかもしれない。
 しかし、そんな事はスペインの知ったところでは無い。例え自分の為に何かをしてくれていたって、離れていては意味無いではないか。…とまでは言わないが、寂しいじゃないか。
 スペインは少し考えて、再びカレンダーに目を留める。2月12日、自分の誕生日。
 そう今一度認識して、身を翻し早足でバスルームに向かった。取りあえずシャワーを浴びて、すぐにオーストリアの家に向かおうと決めて。
 自分の知らぬところで準備して、驚かせたかったのにとか文句を言われても聞く耳なんて持ってやらない。夜までなんて我慢してやるもんか。
 誕生日だからって大人しく待ち構えてると思ったら大間違いだ。そっちがその気ならこっちから向かってやると、スペインは鼻息荒くシャワーのコックを捻った。





「随分早い到着ですね、スペイン」
 ゆっくりとドアを開けてスペインを認めた途端、オーストリアは呆れたようにそう言ってのけた。一応過去に結婚していた間柄なのだから今日と言う日にもっと言う事は無いのかと睨みつけていると、大きくドアが開け放たれる。
「取りあえずお入りなさい。そんな顔したって怖くありませんよ」
 言いながら先に廊下を歩いて行ってしまうオーストリアをスペインは大股歩きで追いかけた。そして彼が開くより先にリビングへのドアを開けて見渡しロマーノの姿を探す。
 しかしそこに居るのはソファに座って優雅にお茶を飲んでいるハンガリーのみだった。スペインに気付いた彼女は頬笑み首を傾げて見せる。
「あらスペインさん、そんな怖い顔してどうしたの?」
「…ロマーノは?」
「ロマーノちゃん?」
「いいからお座りなさいお馬鹿さんが」
 オーストリアに背を押されてソファへと促される。無理やりに腰を沈められてから文句を言おうと振り返ると、オーストリアはキッチンへ消えてしまった後だった。
 大きく溜息を吐くと、声を立てて静かに笑ったハンガリーと目が合う。
「何?」
「スペインさん、眉間に皺寄りっぱなし」
「…なぁ、ロマーノ来てないん?」
 その問いにハンガリーが何かを返そうとしたところで、銀のトレイを抱えたオーストリアがリビングへ戻ってくる。目の前に珈琲の入ったカップとケーゼルクーヘンの乗った皿が置かれた。それを一睨みしてからスペインは再び澄ました顔のオーストリアへ向き直る。
「なぁ、随分早い到着やって言うたな。って事は俺がここに来るってわかってたんやろ?」
「ええ、知っていましたよ」
 さらりとそう言って珈琲を啜るその姿は見慣れたものだと言うのに何故か腹が立って、スペインは力強くフォークを握りケーゼルクーヘンに突き刺した。大きく切り取って口に詰め込む。苛々する時は甘いものだと、いつだったかフランスが言っていた。
「お下品ですよ、スペイン」
「下品で結構。早くロマーノの居場所教えたって」
「全くせっかちですね。少しは私達との時間を楽しもうとは思えないのですか?」
 そっちだってとても楽しんでいる様には見えない、と言い返したかったが、やめておいた。口の中で深いチーズの味わいを広げるこのケーキはまだ暖かく、このタイミングで焼きたてが出てくると言う事は。そこまで考えて思い至る。
 このケーキは、一緒に居た頃オーストリアがよく作ってくれたスペインの好物だ。
「…ありがとう」
「はい?」
「これ、俺の為に作ってくれたんちゃうの?」
「たまたまですよ。それが焼き立てなのも、貴方の好物だったのも」
「そうか」
 そんなやりとりをしている間に全て平らげて珈琲を啜る。そうしてちらりと視線で訴えるとオーストリアは溜息を吐いてハンガリーに目配せをした。
「何を考えているのかは知りませんが、預かり物をしていますよ」
「ロマーノから?」
「はい、これ」
 ハンガリーが差し出したのは小さな袋で、封を開けて取り出して見ると中身はくすんだ銀のペンダントトップだった。平たく中央が少し凹んでいるそれはチェーンも何もついていない。スペインは不思議に思ってオーストリアを見たが、彼は首を横に振った。
「他には何も。言伝なら受けていますけど」
「なんて?」
「次はフランスのところ、ですって」
「はぁ?」
 間抜けな声を上げたスペインは更に訳がわからなくなる。ロマーノは今日一日追いかけっこでもするつもりなのだろうか。
 それならそれで早く捕まえないと、今日が終わってしまうではないか。スペインはケーキの礼を言い慌てて立ち上がる。
「お待ちなさいスペイン」
 三歩踏み出して振り返ると、ハンガリーが何かをオーストリアに渡してそれを受け取った右手が差し出される。小さな青い箱に視線を落とすと、それを強引に握らされた。
「これは私達二人からです。お誕生日おめでとうございます」
「…あ、ありがとう」
「この言葉も言伝ではありませんので、彼からは直接受け取って下さいね」
 柔らかく表情を崩して伝えられ、スペインは胸の内が暖かくなるのを感じる。そしてハンガリーにも会釈して今度こそオーストリアの家を飛び出した。





 この状態は一体どういう事だろうか。
 確かに朝からケーキと珈琲しか口にしていないし、お腹は空いている。目の前に並ぶ豪華な料理たちは輝いていて良い香りを放ち、スペインの空腹を刺激した。
 けれど自分はこんなところで優雅にランチしている場合ではない。先を急ぐと言ったのに強引にテーブルにつかされたが、こんなに時間を取りそうな食事を頂く訳にはいかないのだ。
「はい、お兄さん特製バースデイランチの出来上がり」
「おー、すっげー美味そうじゃん!」
「ていうか、何でお前まで居るねんプロイセン」
 テーブルの向かいに座るプロイセンは首にナプキンを巻いて両手にフォークとナイフを握った、食べる気満々のスタイルで当然の様にそこに居た。そう尋ねたスペインにプロイセンは細かい事は気にすんなと返して、早々に料理に口を付ける。
「おいプロイセン、お前の為に作ったんじゃないんだからあんまりがっつくなよ」
「いいだろ久々なんだし。ほらスペイン、こっちの香草焼きもうめーぞ」
 お世辞にも綺麗とは言えない盛りつけで料理を取り分けてくれたプロイセンに皿を差し出される。それを受け取りながらもスペインは困惑の表情を崩せなかった。
 エプロンを外したフランスも席についてワインのボトルに手を伸ばす。昼から酒かと言いたかったが、意図は読めるので口には出さなかった。
「これ俺んちの最高級品よ?心して飲んでね」
「それは嬉しいけど…なぁ、ロマーノ、」
「あーお前もヴェストもイタちゃんロマーノしか言う事ねーのかよ!」
「そうだぞ。お前もイギリスも最近構いに来なくてお兄さん寂しい」
 嘘くさい無き真似を始めたフランスにボトルを向けられ、慌ててグラスを差し出した。料理に夢中になっているプロイセンのグラスにも注いで、フランスは懐かしむように目を細める。
「それに、こうして三人で飯なんて久々じゃない?それこそ何十年ぶりだよ」
「そう、やったっけ?」
「非情な奴だな。恋人もいいけど、たまには友達大事にしろっつーの」
 言って、ずいとワイングラスが差し出される。目を丸くしているとフランスも同様にグラスを掲げた。暫しして理解し、スペインは一度肩を竦めて、仕方ないと言うように笑った。
「…そやな。たまには、ええか」
「だろ?何百何千回と迎える誕生日の、ほんの一回のランチ位」
 目の前のグラスを手に取って、テーブル中央に集まった二つに加える。食べ零しでナプキンを汚しながら豪快に笑うプロイセンと、昔に比べてすっかり老けたフランスの頬笑みに懐かしさとどこか安心する様な感覚を覚える。
「じゃあ、特別な仲間の良き一年を祈って」
「お前がこの世界に生まれた事を祝って」
 乾杯、と本来かち合わせるものではないけれど、軽く音を立ててそれらを合わせた。彼らの笑顔に免じて、少しだけロマーノの事を頭の隅へ置く事にする。
「有難う、悪友」
 照れ隠しにそう言えば、二人も同じ様に笑った。





 食事を終えてからフランスに手渡されたのは、小さな赤い宝石だった。暫くは何かわからなかったが、ふと思い至ってオーストリアに渡されたシルバーに押し当てるとそれはかちりとそこへ納まる。
 成程、と少し感心しながら支持された場所へ向かうと、迎えてくれたのはいつも通りに愛くるしい探し人の弟だった。
「兄ちゃんならねぇ、えっと、もう少しで会えるよ」
 恐らくはもう少し遠回しな支持をされていただろうに、嘘の吐けない性格が正直を言葉にしてしまう。そんな彼が可愛くて頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑んだイタリアは右の手の平を上にしてスペインに向けた。
「今まで集まったの、出して」
「ん?…ああ、これ?」
 言われて赤い石の埋まったペンダントヘッドを取り出し掌に乗せると、イタリアはポケットから鎖を取り出しそれを通してスペインに返した。
 予想との食い違いに目を丸めそれを受け取る。てっきり鎖はロマーノが通してくれるのだとばかり思っていた。
 身に着けていいものか迷い、結局は首にかけて金具を留めた。胸元のあたりに落ちた赤は着ている黒いシャツによく映える。
「わ、似合うよスペイン兄ちゃん」
「ありがと。そんでロマやけど…」
「うん、もういい時間かな?」
 一度時計を確認したイタリアは再びポケットに手を突っ込んで今度は紙切れを取りだした。二つ折りのそれを受け取って、スペインは曖昧に微笑む。
「ほんまイタちゃんの兄貴は難儀やなぁ。まさか誕生日にこんなあちこち慌ただしいと思わんで」
「でも、それでもスペイン兄ちゃんは追いかけるんでしょう?」
「…うん、まぁな」
 やって惚れてるんやもん、とは口にせず胸の内だけで呟いて、スペインはイタリアに軽く手を上げてから踵を返した。





「『早く帰ってこいチクショーが』って、どの口が言うねん!」
 ロマーノの姿を見つけた途端にスペインはメモの通りに叫んだ。家の外の石垣に腰を下ろしていたロマーノが顔を上げ、きゅっと眉を寄せてスペインを睨み上げる。
「遅せーよ。どこほっつき歩いてたんだ馬鹿スペイン」
「おーおー、なんや怖い事言いよるでー俺の可愛い恋人さんはー」
 つかつかと歩み寄って座ったままのロマーノを抱きしめる。彼の着ているジャケットのファーに鼻を埋めて思い切り息を吸い込んだ。
「あー、やっとロマーノやぁ。もう寂しくて死ぬかと思った」
「嘘つけ。それなりに楽しんだだろ?」
「まぁな」
 そこは正直に告げるとロマーノも笑みを零す。見れば鼻の頭が大分と赤い。一体いつからここで待っていたのだろうか。
 そう疑問に思って手を握ると、指先は氷の様に冷たかった。思わず怒鳴りそうになるのを何とか堪え、再び強く抱きしめる。
「…もう、こんな冷えて。中に居てればよかったのに」
「いいだろ別に。それより、ちゃんと回収してきたんだな」
 胸元で揺れるペンダントを認めて言うロマーノに、スペインはしっかり頷く。そして耳元で有難うと囁いてから、そっと唇を寄せた。
 そのまま暖かい温もりに触れる筈だったのに、何故か冷たい指が邪魔をする。閉じていた目を開けて恨めしげに睨むと、ロマーノはそのままスペインを押し返してジャケットの袖を少しまくった。
「ロマーノ?」
「待てって、後少し」
「え?」
 一体何が、と思っているとロマーノの唇が微かに動き口の中で何かを呟いているようだった。
 注意深く探るとどうやらそれはカウントのようで、気付いたのはロマーノが「ろく」、と口にした時。ご、よんと続いたそれの後に顔を上げ、次に素早く告げられる。
「誕生日おめでとう、スペイン」
 そしてカウントゼロと同時に待ち望んだ温もりが与えられた。唇自体は冷えているが、それでも十分に暖かい。すぐに離れようとするそれを頭に手を添えて戻し、角度を付けて深くした。ロマーノも拒絶はしない。
 どれくらいかそうして、唇の冷えを全て取り除いてからようやく離れるとロマーノはペンダントヘッドを掬って両手でぎゅっと握り込んだ。
「ロマ?」
「仕上げするから、大人しくしてろ」
 言われた通りに黙って見ていると、ロマーノは目を瞑って握った両手を額に当てた。どれくらい時間が経ったのか、ようやく顔を上げたロマーノは手の中のそれをそっと胸に戻す。そしてゆっくり顔を上げた。
「今日、色んな奴におめでとうって言われただろ?お前に取って良き一年であるようにって、沢山の願いが籠ったペンダントだから」
「…ロマ」
「風邪でも引きやがったら承知しねーからな、このやろー」
 とん、と拳で軽く胸を叩いて言ったロマーノに、スペインは笑顔で頷いた。嬉しくて堪らなくて、腕の中の愛しい存在を今一度抱きしめる。そしてふと思い出したように口を開いた。
「そうや。まぁこんな誕生日も悪くなかったけど、せめて一番におめでとうは言うて欲しかったわ」
「一番だったじゃねーか」
「へ?」
 そう切り返された言葉の意味がわからなくて間抜けな声を上げると、それを見越したように不敵に微笑むロマーノの表情が映る。
 そしてこれ以上無いほど得意げに、ロマーノは言ってのけた。
「俺が「一番」最後だっただろ?」
「………あ、」
 によによ笑うロマーノの本当に意図するところがようやく理解出来て、一瞬後にはとんでもなくしてやられた気分になった。それでも上気してしまう頬を見られるのが悔しくて再びファーに顔を埋める。
「ずるいわロマーノ。そんなんされたら来月俺どんなサプライズしたったらいいん」
「そこは死ぬ気で考えろよ馬鹿スペイン」
「…ほんまとんでもない子恋人にしてもーたわ」
 そう言いつつも、スペインは今日一日ずっと胸に抱いていた想いを繰り返す。我儘だし、ツンデレだし、全部が全部可愛い訳でもないけれど、でも。
 惚れたもんだから仕方ない。突拍子のない誕生日だって悪くないと、そう思える原因も全てはそこへ行きつくのだから。
 なんだかんだでやっぱ好きだと、冷えた身体を抱いたままスペインは満ち足りた気持ちで綺麗な星空を見上げた。









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二月のイベントで配っていた無料配布本の話です。スペイン誕生日祝い。
折角なので色んな人に祝ってもらえーと思って書いた話です。
結果、なんか慌ただしい話になりました。なんだこれ。
やっぱスぺロマが好きです。いやスペインが好きですと言うところですね。


10.03.26